【お願い】
このページは1985年8月12日におきた航空機史上最悪の"日航ジャンボ機墜落事故"の事故
現場となった御巣鷹山(御巣鷹の尾根)に慰霊登山に行った時のレポートです。
航空機事故の悲惨さを伝え、絶対に風化させてはならないという思いから、現場で撮影
した写真をそのまま載せています。
そのため刺激的な写真も含まれていることをご理解いただき、自己責任でご覧下さい。




1985年8月12日、御巣鷹山(御巣鷹の尾根)に日本航空のジャンボ機が墜落しました。
当時5歳だった私も事故のニュースを見て、幼いながらに衝撃をうけ、生存者発見に驚い
たのを思い出します。
あれから20年経った2005年8月14日に御巣鷹の尾根に向かいました。


↑御巣鷹の尾根にある「昇魂之碑」と「安全の鐘」


− 日航ジャンボ機墜落事故 −

1985年(昭和60年)8月12日、乗員・乗客524人を乗せ、東京(羽田)から大阪(伊丹)
に向かっていた日本航空123便(Boeing747SR-46・JA8119)が群馬県多野郡上野村の
御巣鷹山(御巣鷹の尾根)に墜落しました。
この事故で520名の尊い命が失われ、単独機としては史上最悪の航空機事故となりました。
また、4名の方が奇跡的に救出されました。

墜落したJA8119は事故の7年前に、大阪伊丹空港で離陸の際に機体後部を滑走路に接触
させる「尻もち事故」をおこしていました。その際に機体後部の"圧力隔壁"を破損しました。
その後、"圧力隔壁"を修理したボーイング社の修理ミスにより、飛行中に"圧力隔壁"が破損
したため垂直尾翼を喪失、操縦不能に陥ったのが事故の原因とされています。
しかし、この圧力隔壁破損説には疑問点も多く、真相は闇に包まれたままです。



− 上野村へ −

朝8時に自宅を出発し、所沢、飯能、秩父を抜け、国道299号線を群馬県方面へ。
途中でお線香を購入し、上野村へ入りました。
上野村に入り、さらに進むと"慰霊の園"の案内板が目に飛び込んできました。
案内板のとおりに進み、まずは"慰霊の園"へ向かいました。

− 慰霊の園 −


↑「慰霊の園」にある慰霊塔


自宅を出発して4時間、"慰霊の園"に到着しました。
事故から1年後に建てられた"慰霊の園"は墜落現場から少し離れた場所にあります。
合掌をイメージした、高さ11メートルもある慰霊碑。その後ろには納骨堂があり、
身元確認のできない遺骨が123個の骨つぼに納められて眠っています。

お線香をお供えし、520名の御霊の御冥福をお祈りしました。
納骨堂の前にある石には亡くなられた方々の名前が刻まれています。



− 御巣鷹山登山 −

"慰霊の園"をあとにして、墜落現場である"御巣鷹の尾根"へ向かいました。
"慰霊の園"からは"御巣鷹の尾根"と書いてある看板通りに進みます。
途中、勾配のある長いトンネルを何本もぬけました。この道は事故後に整備された道です。
しばらく行くと本格的な山道に入ります。アスファルトがえぐられ、雨水がたまっている
箇所や落石している場所もあり、注意が必要です。


↑"御巣鷹の尾根"への案内板



くねくねと曲がる狭い山道を進むと広場に着きました。ここが"御巣鷹の尾根"に登る
登山口です。
車で行けるのはここまでです。広場の先に橋がかかり、道が出来ていたのでそのうち
もっと上まで車で行けるようになるかもしれません。


↑登山道入り口



登山口には杖が置いてあります。1本1本、メッセージが書かれています。
当たり前のことですが、持って登ったら必ず持って下山しましょう。
もちろん私もお借りしました。大切に使わせていただきましょう。

この時点で時刻は1時半を過ぎていました。
私が行った日は午後から夕立ちの予報だったので、ハイペースで登りました。
ボーイスカウトで登山は慣れているとは言え、正直思っていたより辛かったです。

見返り峠を越え、スゲノ沢に出ます。ここに案内図が置いてあったのでいただきました。
さらに登ると、山小屋とトイレがありました。ここから墜落現場はすぐです。




− 墜落現場 −

墜落現場に立ち、私はしばし立ち尽くしてしまいました。
すごい急斜面に数えきれないほどの墓標が立つ、この光景は衝撃的でした。
墓標一つ一つに手を合わせつつ、さらに急斜面を登ります。

急斜面を登りきると「昇魂之碑」や「安全の鐘」のある広場に出ました。
この広場付近に機体の機首部分が激突したといわれています。
遺族の方をはじめ、慰霊登山で訪れている方々がたくさんおられました。
「昇魂之碑」にお線香をお供えし、犠牲者の方々のご冥福をお祈りしました。
さらに「安全の鐘」をならし、二度とこのような悲惨な事故がおきないようにお祈り
しました。



↑御巣鷹の尾根にある「安全の鐘」(左)と「昇魂之碑」(右)


「昇魂之碑」よりもさらに上に登りました。「遺族の碑」や「遭難者遺品埋設の場所」
などがあります。「遭難者遺品埋設の場所」の横には機体の部品が転がっていました。



↑「遺族の碑」



↑「遭難者遺品埋設の場所」



↑「遭難者遺品埋設の場所」横に転がっていた機体の部品

「昇魂之碑」よりも上のこのあたりは、事故のとき炎焼した場所です。事故から20年が
経っていますが、まる焦げの木がそのまま残っていました。


↑まる焦げの木


このあたりから南東の方角に目をやると、奥の山の尾根が削られているのがわかります。
これは"U字溝"と呼ばれ、墜落する直前に機体の右主翼があたって削られたあとです。
機体がものすごい角度(ほぼ垂直)で飛んできたことがわかります。
操縦不能に陥った機体を立て直そうと、苦闘する乗務員のことが頭に浮かび、込み上げて
くるものがありました。


↑写真中央が"U字溝"


すべての墓標に手をあわせることは出来ませんでしたが、できるだけ多くの墓標に手を合
わせました。墓標の様子も写真に撮りましたが、御遺族の気持ちを考え、ここには1枚しか
掲載しません。


↑墓標がならぶ"スゲノ沢"


幼い子供の墓標、家族の墓標、外国人の方の墓標・・・
とにかく多くの方々がここで亡くなられたのは事実です。
どんな気持ちで操縦不能の機体に乗っていたのか、どんなに無念だったかを考えると言葉も
見つかりません。
事故から20年・・・
大切な人を失った家族の心の悲しみは、いくら時間が経っても消えることはありません。


今回の登山を通して、航空機事故の悲惨さ、残された遺族の悲しみを再認識しました。
飛行機の素晴らしさだけを伝えるのではなく、ときにはたくさんの命を一度に奪ってしまう
危険性をも持っていることを伝えることも必要だと思い、このページを製作しました。

我々にできることは、"空の安全を願うこと"、"たくさんの命を失ったあの事故を忘れない
こと"です。


520名の方の御冥福を心よりお祈り申し上げます。